【このリサーチは「手紙って一体何だろう?」を考えるリサーチです】
【インタビュー/手紙について】
【①】野々上真由さん 【日時】3月14日 15:00~ 【場所】ホンバコ

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(下記ご本人の了承を得てプライベートなことも記述しています)
ののちゃんは手紙をよく書く方だ。現在定期的に書いている相手は現在のパートナーへ。一月ごとの更新時に一通したためる。季節の折々には仙台に住む二つ上の姉に書く。
手紙は「自分を知るために起こしているアクション。自分から自分へ出せないものを、相手に受け取ってもらって、自分の輪郭が分かる。相手に手伝ってもらっている」。自分の心の中にある何かを外に出すのは日記でもできるが、それをもうひと段階外に出さないと起こらない出来事がある。「行っておいで」と手紙を送り出す。手紙はプレゼント、お返し/返信を期待することはない。もちろん「もらえたら嬉しい!目の前にいる人よりも、その人を表しているように思う」
手紙を出すことは、、、。ふと口をついた彼女自身の言葉“自己満足”かどうか。聞いているこちら側には、その言葉が当てはまるとは思えない。確かに彼女は「今を切り取って、ありがとうと感じている自分を存在させたい。モヤモヤと感じたことがあったら、そのことを伝えたい」と言う。でも「モヤモヤを伝えて終わるだけでは途中止め。それを知ることができて良かった、というところまで伝えるのが届ける側の責任。正直と素直であることは違う。手放すことと何をやってもいいということは違う」。「大切なのは温度があるかどうか」。
そんなふうに(彼女の言葉で言えば)「分離」させて考えるようになれたのは、今のパートナーとの関係が始まってからだそうだ。お付き合いを始める前に“プレゼン”して、一か月更新でスタートすることになり約半年が過ぎた。毎月24日の更新日にお礼やモヤモヤ(とその先の言葉)と、来月からもよろしく、と手紙を書く。時おり完全に一人でいたいとき、その月の3日だけ“解約”したりすることもある。

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ののちゃんは、「人生は大実験」だと言う。しかし以前から今のようにできたわけではない。生きにくい時期もあり、以前は人と“癒着”しがちだった。癒着している意識があるから、自分がどんどん変化して相手から遠ざかっても平気、“そういうものでしょ?”と思っていた。それは今も変わらないけれど、分離して考えられるようになったことで、逆に人から「さびしい」「冷たい」とは言われなくなった。
私たちの間にある何か、とは、かそけきもの、弱きものだ。正直が善だと剥き身で踏み込むと断ち切ってしまう。けれど言葉にしなさすぎると、お互いの心の中の声や誤解で自家中毒になる。手紙は、それをほどいたり結びなおしたりする。「何かあったときも、その人からもらった手紙を読み返すとその人本来の姿を取り戻せる気がする」。
ののちゃんと、「国語・算数・理科・社会・手紙」って科目にあればいいのにね、と“冗談”を言ってインタビューは了。