【このリサーチは「手紙って一体何だろう?」を考えるリサーチです】
【インタビュー/手紙について】
【⑧】諸寄英久さん 【日時】3月21日 14:00~ 【場所】ことめや
諸寄さんとは、数年前にお会いしたことがあった。てっきり島根の方だと思いこんでいたが「あれ?」と思い直し連絡を取る。私のFBを見つつ「山崎のやつ、来てるよな、忙しいのかな」と、ときには、ここからつい2軒先のご飯屋さんで「?」を浮かべていたという。最後のインタビュイーとしてお会いすることができた。少し前までこの界隈で「真心堂 蔵」というお店を開いていたが、場所を移し今秋に再オープンの予定でいる。
そのお店では民芸の器を中心に扱っていたことから、国内外の注文に応えて発送する際、必ず一筆つける。「封筒に入れて送る手紙、というと、あまり書かなくなったけど、メッセージとしてはかなりの数を書きますね」。シアトルに住む老夫婦とは特に仲良くなり、息子のように愛されている。「欧米の方の習慣の一つだと思いますが、旅先からポストカードを送ってくれます。一度僕もシアトルまで遊びに行きましたよ」。丁寧な仕事と笑顔が老ご夫婦に息子と呼ばしめるのだろう。
手紙をたくさん書いていた時期もある。
19歳~23歳の間、カナダに住んでいた。先住民族の文化、アート、手仕事に感銘を受け、学びたい一心で渡航した。80~90人の職人/アーティストに弟子入りを申し出たが、当時は大切な食いぶちを奪われると恐れてか全く受け入れてもらえなかった。4年の間ビザの関係で行ったり来たりはしたが、少なくとも数ヶ月は日本を離れる。当時はインターネットが無いので(あってもパパソコン通信が一部で使われていたぐらい)、日本と連絡を取ろうとすると電話か手紙しかない。国際電話は高くて、そんなに長く話せない。残る選択肢が手紙だった。
当時手紙を交わしていた女性と、少し前に再会した。当時はずっと一緒にいたいと思うほど好きな女性だったので、少しドキドキした。あんなことが書いてあったよね、こんなことも書いてあったよね、と。そして「どうして、いつ、手紙を書きあうのをやめたんだっけ?」と。手紙は、その実、届いたかどうかはわからないメディアなのだ。もしかすると、ただ郵便事故で届かなかった手紙が「返事がない」という暗黙のメッセージになっていたかもしれない。
「手紙を書くときは、事務所で、一人で書きます。家だとテーブルが低すぎるんですよね。書いている間は分断されたくない。電話がかかると出ないことも多い。集中して書きます。下書きはしない。時間と手間をかけて自分を載せることで、初めて信頼を得られるのだと思います」
手紙って何でしょうね?
「”その瞬間”。写真と同じ。どんなに未来のことや過去のことが書いてあっても、”その瞬間”。読み返したりすると、字も変わっているし、時間が経っているはずなのに一気にその時を思い出す」。知覧を訪れたとき、特攻隊の兵隊たちが書いた手紙を目にしたことがある。「そのときのこと…歴史…タイムスリップでもありますね、手紙は」
諸寄さんが最近最も心を入れて書いた手紙は、お子さんへの手紙だ。離婚をきっかけに今は別々に住んでいる。あるタイミングで「もう会えないかもしれない」というときに、心を込めて手紙を書いた。「パパは、〇〇のことを愛しているからね。何かあったら、言ってくるんだよ」。手紙を開いたとき、お父さんはすぐそばにいたのだと思う。
(山崎阿弥)