【このリサーチは「手紙って一体何だろう?」を考えるリサーチです】
【インタビュー/手紙について】
【②】澁谷橙さん 【日時】3月14日 17:35~ 【場所】Y Pub&Hostel TOTTORI
(下記ご本人の了承を得てプライベートなことも記述しています)
だいちゃんと手紙の話をしていると、どんな話をしていても「詩」に戻ってくる。手紙のことを話していたのに、言葉の話になり、様々な言葉の形の中でも、とりわけ詩のことになる。だいちゃんは詩を書く人です。
最後に手紙を書いたのはいつ?何を書いたの?と尋ねるとドキッとする、と言いつつ、「最近はもらった手紙を家の中の奥さんも目にするところに貼ってますね」。例えば私がお家に遊びに行ったら、その時ははがす?「・・・いや、はがしませんね・・・」。自分がそうするようになってから、自分が送った手紙も相手以外の人の前で開かれているかもしれないと思うようになった。(相手が人に見せているかも?という推測について、彼は決して否定的な意味として言っていないと思う。)そして、誰か一人に向けて書いている手紙であっても、誰に読まれてもいいという気持ちで書くようになったし、すると内容は自然と「詩」の存在の仕方に近づいていく。
もちろんそうでないこともある。彼が勤めるカフェ兼ゲストハウスではヘルパー制度があり、掃除をすると無料で宿泊することができる。その制度を使って昨年滞在していた大学生の女の子に手紙を書いた。彼が寄稿した本が彼女の滞在後に出来上がるため、送ってほしいと希望されたからだ。その返事には、輸送中にバリバリに割れたのだろうおせんべいが一枚入っていて、彼が以前働いていたお店に行った彼女の話を読んで、ふっと時間や空間を移動するような不思議な感覚を覚える。(というのはだいちゃんの言葉ではなく、聞いている間、彼が“ここにいない”と私が感じた。)彼はまた、「自分が行ったことのない場所に手紙を書くときは、住所を書いただけでそこに行きたい、という気持ちが芽生えているかも」。
忘れられない手紙がある。
進学のために上京する直前、好きだった女の子からもらった手紙。ほとんど高校に行かなかっただいちゃんは、社会人が参加する劇団に所属していて、そこで彼女と知り合う。恋は実らなかったそうだが、彼女からもらった手紙には「もっと人を信じた方がいい」と書いてあった。折に触れてその言葉が胸によみがえる。その言葉が人を信じさせてくれて、今鳥取に居るのも、その言葉のおかげかもしれない。その手紙はまだ残してある。返事は書いていないが、鳥取移住後に始めたSNSで彼女が彼を見つけてくれて、手紙の話をした。「ありがとう」。
手紙の返事には、期限が決まっていないのかもしれないし、彼はずっと手紙を書き続けていたのかもしれない 。
(山崎阿弥)