鹿野に行くには鳥取駅からバスに乗って行くのが一番良いとMちゃんに教えてもらっていた。バスは1時間半~2時間に1本くらいの間隔で運行していて、鹿野までは鳥取駅から1時間半かかる。Mちゃんは車を持っていないのでいつもこの方法で市内に来ているようで、昨日のアーティストトークのあとは、打ち上げにも参加してくれて遅くなってしまったので近所の人の車に乗せてもらって帰っていた。Mちゃんは首都圏生まれで鳥取に縁があるわけではなかったけれど、今の生活がすごく気に入っているようだった。私がこれまで3日間鳥取で過ごして一番驚いたことは、関東や関西の都市部から移住してきた若い人たちがとても多いということだ。しかも美術や芸術に携わっている人が多いように感じる。何が彼らを惹きつけているのか知りたくて、移住者のコミュニティを見たいと話したら、Mちゃんがコンサートのことを教えてくれたのだった。移住者の人が自宅を開放し、プロ・アマ問わず楽器を演奏することができる住民たちによる演奏会を企画したのだそうだ。
バスはしばらく日本海の海岸線に沿って走って行くが、あるポイントから内陸に入っていき、畑の真ん中にある総合病院や、温泉街を通り過ぎて、目的地に着いた。Mちゃんは自転車に乗って、停留所で待っていてくれた。「大変だったでしょ」と微笑むMちゃんを見ると少しホッとして、私は子どもに戻ってしまったような気がした。バス停がある通りから横道に入ると、街並みが一気に変わる。Mちゃんによると鹿野は城下町として栄え、江戸時代の街並みが残っているのだそうだ。コンサートが開かれる家も江戸時代に建てられた家屋で、3年ほど前に東京から移住してきた若いご夫婦とお子さんが3人で住んでいたが、近々近所の別の家に引っ越すとのことで、今回のイベントはちょっとしたお別れパーティーのようなものということだった。かなり立派なお家で、玄関の土間からすぐに上がれる広々とした座敷では、2、3才の子どもたちが10人くらいお父さんやお母さんとおままごとをしたり、パズルをしたりして遊んでいた。赤ちゃんを抱っこしている若いご夫婦もぞくぞくとやってきて、この小さな町にこんなに子どもたちがいるんだ、と軽く衝撃を受ける(あとでMちゃんに聞いたところでは、友達に誘われて別の町から遊びに来ている人もいるとのこと)。奥の座敷では、大人たちが座って、美しい庭園を背に演奏をしている地元のフォークソング・デュオの演奏を楽しそうに聴いている。Mちゃんは、お世話になっている地元のパン屋さんからパンの販売を頼まれたそうで、200円で買ったクリームチーズとブルーベリーが練り込まれた素朴なパンはとても美味しかった。隣で淹れたてのコーヒーを売っていた男性はコピーライターの仕事をされているようで、もともとは東京で働いていたようである。(彼は鹿野出身で地元に帰ってきた、ということだったかもしれないが少し記憶があいまい)
10年ほど前に鹿野にある廃校を利用して作られた鳥の劇場という劇団がすぐ近くにあり、その劇団員の方によるサックスの演奏があったり、イベント企画者の女性によるフルートの演奏があったり、子どもたちのために絵本の読み聞かせがあったり、イベントはアットホームかついろんな年齢の人たちが楽しめるように作られていた。
コンサートは夕方5時に終わり、6時の最終バスまでのあいだMちゃんの自宅兼スタジオを見せてもらうことになった。せっかくだから鳥の劇場も見ていく?と劇場に立ち寄ると、先ほどのコンサートでサックスを演奏していた劇団員の方が中を案内してくださることになった。基本的には小学校と幼稚園の建物をそのまま使っているのだけれど、メインの劇場の設備は想像以上に本格的で驚いた。ここで演劇の国際的なフェスティバルも行われるようだ。バックヤードは教室をそのまま使っていて、控え室、小道具部屋、衣裳部屋などを見せていただく。奥の方には以前Mちゃんがスタジオとして借りていた教室があった。鹿野に初めて来たときにこのスタジオを見て、ここにしばらく住んでみようと思ったそうだ。Mちゃんは多摩美卒業後にドイツの美大に行っていた。ドイツにいる間に東日本大震災が起こり、日本に帰ることになっても東京に戻る気がしなかったので住みたい町を探していたところ、ドイツで出会った都市計画などを勉強している友人に鹿野が面白いと教えてもらったらしい。住むのは半年か長くても1年くらいかなと思っていたけれど、住んでみたら居心地がよくて3年以上も住んでいると笑っていた。そのあとMちゃんの自宅兼スタジオを見せてもらった。大家さんの離れを借りているらしく大きな平屋だった。中は綺麗にリフォームされていて、15畳くらいありそうなスタジオには描きかけのキャンバス数枚が立てかけてあり、机の上にも描きかけのドローイングと絵の具と筆が置いてあった。机の横には縦長のCDラックがあり、部屋のコーナーには高価そうなステレオスピーカーが置いてあった。家具とか必要なものは全部誰かからもらったものだとMちゃんは言った。必要ないものを置いておける場所があって、町の人は何かがいらなくなるとそこに持ち込み、何かが必要になるとそこにもらいに行くのだそうだ。新しくて綺麗なものもたくさんあるよ、とMちゃんは言った。この静かな部屋で音楽を聴きながらMちゃんが絵を描いている姿を想像することができた。私は6時の最終バスを逃してしまい、Mちゃんが友達に電話をかけて最寄りの駅まで車で送ってくれる人を探してくれた。