ホスピテイルというアートプロジェクトを運営されている赤井あずみさんから、新作のリサーチとアーティストトークをかねて鳥取に来ませんか?というお誘いがあったのは、2月の終わり頃だった。2014年の黄金町バザールでの展示を見て、今まで覚えていてくださったのだという。ホスピテイル・プロジェクトは、旧横田医院と呼ばれている昔病院だった建物を使って、アーティスト・イン・レジデンスや、展覧会やレクチャーなどのプログラムを開催していて、今回もプログラムの一環としてまずはアーティストトークをし、最終的には鳥取で滞在制作をするのはどうかというお話だった。

鳥取には今まで二度行ったことがあった。最初はたしか大学生のときに母と2人で鳥取と島根を巡る旅をしたときだ。そのときに山陰の湿気があって薄曇りの天気や、砂丘の非現実的な感じ、近すぎず遠すぎず絶妙な距離感で話しかけてくれる地元の人たち、修験道の霊場である投入堂に登ったときの自然の荒々しさ、など密度の濃い体験をして、強く印象に残っていた(投入堂がある三徳山は標高は高くないけれど、年間数人は死者が出るような険しい山である)。その後、2012年に『ところどころ春冬』という長編の映画を作ったときに、夜の砂丘を主人公が歩いていくシーンを撮りたいと思い、再訪することになった。『ところどころ春冬』は東日本大震災が起こったあとの東京を舞台にした物語で、4人の若者の日常が震災によって微妙に変化していく様子を描いたものだ。物語の終盤、主人公の1人が突然鳥取に行くのである。そして親友に電話をかけて、「今、鳥取にいる」という。親友は「帰ってくるの?」と訊くが、彼は曖昧な返事しかしない。なぜ主人公が鳥取に行ったのか、当時脚本を書いた私にもよくわからなかったけれど、とにかく彼は鳥取に行って、たぶん東京には戻らなかったのだろう。

そんなわけで鳥取には何かしらの縁を感じていた。鳥取で何かさせていただけるなら是非、ということでまずは1週間のアーティスト・イン・レジデンスとして、ことめやに滞在させていただくことになった。ことめやも赤井さんが始められたスペースで、古い旅館を再利用して、鳥取に滞在するアーティストや作家が宿泊できるような場所になっている。

何度かのメールやスカイプでのやり取りを経て、いよいよ鳥取に行く日が来た。羽田空港のチェックインカウンターで、今日は強風のため鳥取に着陸できない可能性があり、その場合は米子か大阪に着陸することになると案内された。少し心配していたが問題なく飛行機は鳥取砂丘コナン空港に着陸した。コナンとは『名探偵コナン』のことである。作者の青山剛昌さんが鳥取県出身なのだそうだ。空港内にはコナンのアニメで流れる定番のあの曲(タララーラー、タララーラーララー、タララララータララーラーララー)がエンドレスで流れていた。赤井さんが空港に迎えに来てくださることになっていたので、荷物を受け取ってからキョロキョロと周りを見回すと、人ごみを避けた後ろの方に赤井さんがいらっしゃった。赤井さんは鳥取県立博物館で学芸員として働きながら、ホスピテイル・プロジェクトもご自身で運営されているというスーパーウーマンである。そのため、今日はわざわざ仕事を抜け出して空港まで迎えに来てくれたのだ。鳥取駅からすぐ近くにあることめやに到着して、簡単な打ち合わせをしたあと、「夜ご飯の時間になったらまた来ますね」と言って赤井さんは博物館に戻られ、私は近所を徒歩で散策してみることにした。小腹が空いていたので適度な感じのお店がないかなあと思いながら道を歩いていたが、ランチタイムはとっくに終わり、かといってディナータイムまでまだ時間がある微妙な頃合いだったので、個人経営のお店は開いていなかった。ことめやでもらったマップによると駅にコンビニがあったので、致し方なし、ということでコンビニに行き、ポテトチップスを買った。ポテチを歩きながら食べるのはあまり行儀の良いことではないかもしれないが、私はよくやってしまうし、むしろ結構楽しくて好きなのである。ポテチを食べながら街路を歩くと、地に足がついている気がするのは錯覚だろうか。また、未知の美味しい食べ物がたくさんあるはずの旅行先でわざわざポテチを食べるという行為も、どこか自分をリラックスさせるのに役立つのかもしれない。駅の南側にはスーパーのイオンがあると聞いていたので、そちら方面にはどちらかというと地元のリアリティがあるのだろうという気がした。思っていたよりもすぐにイオンに着いてしまったので大きな駐車場の脇を歩いてさらに進むと、交通量の多い幹線道路にぶつかり、高く盛り上がった土手と、その対岸に煙突のついた工場が見えた。私は多摩川のすぐそばで育ったので、土手には馴染みがあって行ってみたいと思ったが、土手に直接行けるようなルートが見つからず、車が途切れたときを見計らって急いで土手を駆け上がった。対岸の工場からはものすごい勢いで煙が立ち、それが強風で吹き流されていた。意外なほど強く化学薬品の匂いがしたので何の工場だろうと見てみたら、建物に製紙工場と書いてあった。川の匂いと化学薬品の匂いが混じり合って、こんなに寒いのに夏みたいな匂いがするんだなと思った。土手は周辺の地形よりかなり高くなっていて、遠くの山までよく見晴らすことができた。そのまま川沿いを歩いて行くと、左手にコンクリート造りの重々しい建物があり、県営屋内プールと書いてあったので興味を惹かれ行ってみることにする。しまった、水着を持ってくればよかった。そういえば荷物をまとめているときに水着が目に入ったのに、まさか必要なわけないと思って持ってこなかったんだよな。県営屋内プールの入口は幹線道路の方にあり、中に入るにはぐるりと正面へ回る必要があった。土手側にある広い駐車場で男の子が1人、コンクリートの高い外壁に野球のボールをぶつけてキャッチボールをしていた。ちょうど子どもたち向けの水泳教室の時間なのか、まだ未就学児の子どもを連れたお母さんたちがロビーに数人いて、プールからはタオルを頭に巻いた小学校低学年くらいの子たちが出てきた。ロビーのベンチに座って制作用のメモを書いてから、ふとプールの入口を眺めると、プールサイドに黄金色の光が差し込んでいて何か物語が始まりそうな情景だった。

19時すぎに赤井さんと砂丘屋というお店に行き、2人で日本酒を飲んでいると、夏の夕立みたいに突然雷が鳴って、猛烈なヒョウと雪が降り始めた。冬に雷なんか鳴るんですね、と私がいうと、雷は冬に鳴るものなんですよ、と赤井さんはいう。日本海側の天気は太平洋側の天気と根本的に違うようだ。砂丘屋の料理はどれも素晴らしく、特にチーズのまわりにかにみそをコーティングしたものを凍らせて、うすくスライスしたかにみそチーズというおつまみが忘れられない。口に冷たくて薄いそれを含むと、一瞬でさっと溶けて、かにみそとチーズの味になるのだ。

スクリーンショット 2019-04-03 8.55.02