6回目となるパブリックプログラムでは、社会運動や生活のあり方をテーマにおいた映像制作を手がける映画監督の中森圭二郎氏をゲストに迎え、オープントークを行いました。

今回のトークは中森さんの自己紹介から始まりました。中森さんは言葉と言葉の間を表すには映像表現がふさわしいのではと考えて映画の技術を学び始め、社会の中でこぼれているものを拾っていく作品を制作したり、ソウルや台北で自主上映会を行なったりしていたそうです。その後、生活の変化により、少しずつ自分の周りにある政治的な事柄に目を向けるように変化していった、というお話でした。

その後、山下さんがファミー氏が立候補を決めた2016年から投開票日まで次第に選挙が盛り上がっていく様子を動画や演説の翻訳を交えながら、時系列に沿って説明しました。
その後ふたりの意見交換の時間になりましたが、人々と社会をテーマに作品をつくる映画監督ならではの視点が反映されたトークの展開となりました。ひとつはマレーシアの国民にとって選挙とはどういうものか、という視点であり、もうひとつは「映像」というメディアはどういう特徴を持っているか、という視点でした。
前者については、中森さんが、SNSに染まった身体にとって日本の選挙は退屈であるように感じると述べたのに対し、山下さんは、マレーシアでは選挙自体が人々の楽しむコンテンツになっており、毎日路上で行われる演説の映像がSNSにほぼリアルタイムでアップロードされ、盛り上がっていたと答えていました。また、中森さんは、日本の候補者たちは開票日には各々の事務所でダルマに目を入れるなど内輪で祝う印象だが、マレーシアの候補者(ファミー氏)は国民と同じ空間で開票日を迎えていることに注目し、マレーシアの方が候補者と会話ができるように思えるとも述べていました。

後者については、「なぜマレーシアの選挙を映像に残そうと考えたのか」という本質的な問いがあったほか、「そぎ落として想像させて自分の核心を明確には見せないのがアートであり、映像は情報が多い。」と「政治は核心を見せたほうが、メリットが多い。政治活動は選挙だけではなく、人と話し物事への理解度を上げ、問題の解決策をみんなに知ってもらうことが大切だ。」という発言に現れていました。
政治とアートという、一見距離の離れているように思えるものが、山下さんの作品でどのように結びつくのか期待が膨らみました。
(門脇瑞葉)